進化するガラパゴス経営

第10回
カメラ先進国・日本の未来戦略

本コラムは『フジサンケイビジネスアイ』新しくウィンドウを開きます。へ2009年9月9日より2009年12月23日まで寄稿連載されました。

フジサンケイビジネスアイ掲載版はこちら新しくウィンドウを開きます。

日本のデジタルカメラは、2002年に販売台数でフィルムカメラを抜き去り、一昨年には総出荷台数が1億台を超えた。グローバルマーケットの構造転換期にあって、09年のカメラ全体の出荷台数は前年比微減の予測だが、デジカメに限っては好調を持続している形だ。

デジカメは発売当初から海外市場を意識してきた。実際、1999年に輸出台数が国内出荷台数を上回り、08年には輸出比率が9割を超えた。日本のデジカメは短期間でグローバル戦略を成功させたのだ。

日本には世界的な光学機器メーカーが数多く存在し、レンズをはじめとしたキーパーツの内製化が容易だった。センサーや液晶など競争力のある電子部品メーカーも集積していた。こうしたなか、厳しい日本のユーザーの要求に応えることで、日本製カメラは飛躍的に進化し、高機能化、デジタル化を成し遂げたと言える。ただ、デジカメと言えども、しだいに市場が熟化し、成長が鈍化していくのは避けられないだろう。

市場が変化するなかでも、日本がデジカメで勝ち続けるためには「超ガラパゴス戦略」でいう「アイソマーケット化」、すなわち日本文化を輸出し、浸透させるという考え方が大事だ。

一方、コストリダクションのための「モジュール化」には要注意だ。

部品スペックが判明すれば、同等のものを作るのは難しくない。模倣、技術流出を防ぐことで、泥沼のコスト競争の回避も期待できる。

日本でデジカメが普及した背景には、日本人特有の「写真を楽しむ」というカルチャー、ライフスタイルがあった。

例えばレンズ付きフィルム「写ルんです」(86年、富士写真フイルム)や、「プリクラ」(95年、アトラス)、「写メール」(00年、旧J-フォン)などの登場は、写真を記録手段からコミュニケーションツールに変えるイノベーションであった。誰もがカメラを所有でき、手軽に写真で遊べる環境を創出したのだ。

世界中で人気を博している「ブログ」「ソーシャル・ネットワーキング・サービス」「動画コンテンツ共有サイト」にとって、デジカメは必須のツールだ。写真や映像を用いた発信によって、世界中の仲間とのリッチなコミュニケーションが可能になった。

画像や映像を通じた新たな出会いがあり、互いの「日常」を共有する喜びを味わうことができる。個人の行動や思考の変遷が画像や映像で残されていく、新たな“写真文化”の出現だ。

したがって、これからの日本の光学機器メーカーに求められるのは、この文化的側面を認識しつつ、グローバル戦略を加速していくことだろう。

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株式会社 日立コンサルティング 代表取締役 取締役社長
芦邉 洋司

1965年静岡生まれ。
大学卒業後、イーストマン・コダック社に入社。
その後、米国にて大学院に進みMBAを取得。
1992年、KPMG Peat Marwick監査法人ニューヨーク事務所に入社。
監査・税務業務・経営コンサルティングに従事。
1997年、同社日本事務所開設にあたり帰国。
大手ハンバーガーチェーン経営戦略本部を経て、現在日立コンサルティング代表取締役 取締役社長。
趣味は外洋ヨットレース。プライベートな時間は駿河湾にて外洋ヨットのクルーを楽しむ。

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