ページの本文へ

第2回 「責任あるDX」に向けて企業に求められるELSIの取り組み

佐武 史啓 株式会社 日立コンサルティング シニアコンサルタント

仲村 裕太 株式会社 日立コンサルティング コンサルタント

2023年2月9日

はじめに

第1回のコラムでは、企業が「責任あるDX」(真のDX)を実現するために、ELSIの考え方が重要であることを述べた。続く第2回の本コラムでは、ELSIの考え方の出自である科学技術政策の領域での取り組み状況を整理したうえで、「責任あるDX」を志向する企業におけるELSIの先駆的な取り組み事例を紹介する。そして最後に、今後「責任あるDX」を推進する企業において求められるELSI対応の具体的な手法について紹介する。

1. 科学技術政策で先行したELSI、RRI*1の取り組み

米国

1990年から始まった米国におけるヒトゲノム計画(人のDNAの塩基配列をすべて解読しようとする計画)がきっかけとなり、ELSIという考え方が普及し、その後の連邦政府の政策やイニシアティブにELSIの考え方が組み込まれた。米国エネルギー省と米国国立衛生研究所により推進されたヒトゲノム計画のELSIプログラムでは、インフォームドコンセント*2の在り方、遺伝情報のプライバシー、遺伝情報による差別(雇用や保険を含む)など、ヒトゲノム解読に際して予想される多様な問題についての研究が実施され、各種の政策やガイドライン作成に結実した。その後、ELSIに関連した取り組みは科学技術政策のスタンダードとなり、2016年に策定された米国人工知能研究開発戦略計画では、ELSIに配慮したAI研究の開発をめざしている。

*1
ELSI、RRIについては、第1回:「責任あるDX」のためのELSIを参照。
*2
インフォームドコンセント:研究や治療などの目的や内容を十分に説明し、それを受ける者の理解と同意を得ること。

欧州

欧州では、研究・イノベーション枠組みプログラム(Framework Programmes)と呼ばれるEU加盟国を対象とした複数年にわたる研究助成プログラムを継続的に実施しており、共同研究開発プロジェクトを通じて、EUにおける科学技術分野の能力および産業競争力の向上を図ることをめざしている。2014年から2020年にかけては、Horizon 2020(FP8)が実施され、その中の「社会と共にある社会、社会のための科学」という基幹プログラムにて、ELSIを発展させたRRIの概念が導入された。
RRIに関連する取り組みは多岐にわたっているため、具体的にどのような活動に取り組めば、RRIを実践・実現できるか把握しづらい。そうした状況を踏まえ、欧州委員会は2014年に、RRIに関する専門家会議を設置し、RRIに有用な指標や測定基準の開発を目的に、RRIを評価する指標の整備を進めた(表1を参照)。研究の取り組みをRRIの観点から評価できるようにKPIを整備することで、RRIの促進と評価体制の構築をめざしている。また、こうした具体的な指標を整備することで、研究を進める組織が具体的なアクションを検討しやすくなっている。
現在は、Horizon 2020から後継のHorizon Europe(FP9)へ移行しており、「欧州研究・イノベーション(R&I)のシステムの改革・強化」というプログラムにて、ジェンダー平等、科学教育、倫理等のテーマに関する課題に取り組んでいる。また、RRIの観点を研究開発プロジェクトの初期段階から意識させるように、プロジェクト申請時の必須事項として、オープンサイエンスの推進方策、研究成果の普及と活用に関する計画策定、ジェンダー平等計画の策定などを評価項目に組み込む設計としている。

No 評価項目の観点 指標(一部抜粋)
1 ガバナンス
  • RRIに関連する協定の数
  • RRIプロジェクトにおいて投資された額 など
2 市民参加
(パブリックエンゲージメント)
  • 市民や市民団体の委員を含む諮問委員会の数
  • 諮問委員会などにおいて特別な責任を持つ市民と市民団体の割合(座長、報告者、その他) など
3 ジェンダー平等
  • 研究プロジェクトにおける女性研究者の割合
  • 研究論文の第1著者が女性である割合 など
4 科学教育
  • 高等教育機関におけるRRI関連の研修の有無
  • 市民科学に関する出版物の発行状況 など
5 オープンアクセス
  • データの公開数と引用数
  • オープンアクセス文献のソーシャルメディアへの発信有無 など
6 倫理
  • 研究を実施するにあたっての倫理審査委員会の設置および審議の有無
  • 認可プロセスによる承認有無 など

表1 RRIを評価する際の評価項目の観点と指標

  • (European Commission, Directorate-General for Research and Innovation, (2015). Indicators for promoting and monitoring Responsible Research and Innovation : Report from the Expert Group on Policy Indicators for Responsible Research and Innovation, Publications Office.を基に一部抜粋して日立コンサルティングが作成。 URL:https://data.europa.eu/doi/10.2777/9742

日本

日本でもELSIという言葉が現れる以前から、科学技術が及ぼす社会的影響や倫理的な問題が危惧されており、ELSIやRRIという言葉の使用有無にかかわらず、関連する取り組みが2000年ごろから情報科学、生命科学分野の研究開発の中で散発的に組み込まれてきた。例えば、「個人の遺伝情報に応じた医療の実現プロジェクト(オーダーメイド医療実現化プロジェクト)」では、ELSIワーキンググループ(2004年9月より、ELSI委員会)が設立され、国が主導する大規模プロジェクトに初めてELSIを検討する組織が設置された。
ELSI、RRIの考え方は分野を問わず重視されるようになり、研究開発への助成金支援等を行うファンディング機関にも強く認識されるようになった。例えば、2018年より内閣府が主導するムーンショット型研究開発制度では、人文社会系や自然科学系の有識者から成るELSI分科会が設置されており、ELSI分科会がプログラムディレクター(PD)へ助言を行い、PDの指揮・監督の下で、各プロジェクトがELSIの検討を行うという立てつけが取られている。また、2020年より公募を開始した、国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)の「共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT)」では、プロジェクトへの提案に際して、住民などのステークホルダーと議論を行ったうえで、何が課題なのか、その課題を解決するために必要な技術は何か、その技術を社会に実装した際に生じる問題はないかを検討することを要求している。

2. 企業におけるELSIの取り組み

前述したように科学技術政策では、分野横断的にELSIに対応することが必須となってきている。そして、ELSIの考え方は科学技術政策にとどまらず、企業活動全般においても取り組みが進み始めている。その傾向はDXに積極的な企業に多く見られ、「責任あるDX」を志向していることがうかがえる。L(法律)については従来から企業として、法令順守を基本とし、「コンプライアンス」というキーワードで対応が当たり前となっているが、昨今は法制度が目まぐるしく変化しており、ソフトローなどへの対応も求められている。さらに、E(倫理)への対応についても、昨今は「AI倫理」などのキーワードで注目され、企業におけるガバナンスの一環としての取り組みが進みつつある。そこで、ここでは、まだ企業において定着していないS(社会)の観点からの対応を実践している先進的な事例を取り上げる。

ステークホルダーが理解しやすい情報発信

ステークホルダーに対して適切に情報を開示すること自体は、企業活動の基本であり、L(法律)、E(倫理)の観点から必要とされることもある。S(社会)の観点で求められるのは、ステークホルダーの視点に立った情報発信、すなわち、ステークホルダーが求める情報が、彼らにとって理解しやすい形で発信されていることである。
例えば、メルカリは、サービス利用者に対して、サービス利用者に関する情報の利用目的や提供、サービス利用者のプライバシーを守るための自社の管理体制などについて、HP上で発信している。説明は、イラストを用いる、読みやすい文字数に抑える、専門用語を用いないなどの工夫がなされており、専門知識を有しない一般の消費者でも内容が理解しやすくなっている。各種ポリシーなどのより詳細な情報は、リンクが設置されており、それらの情報を求める人は、必要に応じて容易に参照することができるようにもなっている。
また、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)は、HP上で、パーソナルデータに関する取り組みを発信している。ここには、取り組みの背景や、現在までの取り組み、パーソナルデータの活用イメージ、実際にパーソナルデータを活用しているサービスの例などについて説明されているほか、パーソナルデータと個人情報の違いなど、これらを理解するために必要となる前提についても触れられている。

ステークホルダーとの対話による事業検討

企業からステークホルダーに一方的に情報発信するだけでなく、ステークホルダーとの対話を通して社会的な受容性を検証することで、事業化後に反発を受けるリスクを低減しつつ、より良いサービスを創出することも「責任あるDX」において有用である。
例えば、東急電鉄が提供する「駅視-vision」というサービスにおいては、事業化前に実証実験を通して鉄道利用者などの意見を収集、分析したうえで、適用する技術やサービスの内容を決定している。「駅視-vision」は、駅に設置しているカメラから画像を取得し、スマートフォンのアプリを通して配信するサービスである。自宅などにいながら駅の混雑状況を確認することが可能になる便利なサービスである一方で、カメラに映り込む鉄道利用者などのプライバシーへの配慮が求められる。画像データの加工方法を決定するにあたり、東急電鉄は、システムベンダ候補3社が持つ画像データ加工技術を用いた配信サービスの実証実験を実施した。そして、お客様センターへの意見、SNS投稿の内容、東急線利用者へのアンケートなどにより、個人からの評価を収集、分析し、その結果を受けてサービスの本格展開やシステムベンダを決定した。
また、NTTドコモが提供する「モバイル空間統計」というサービスにおいては、サービスの立ち上げにあたり、社外の有識者から成る会議体を設置し、サービスの社会的・法的・技術的側面について検討している。有識者の中には、法律や統計などの特定分野の専門家だけでなく消費者視点の代弁者も含まれ、これが、サービスの在り方の検討にステークホルダーの意見を取り入れることにつながっている。

ステークホルダーの動向の把握

ステークホルダーとの対話は、事業が社会的に受け入れられるようにするための有効な取り組みである。ただし、ステークホルダーの考え方は必ずしも不変的なものではなく、さまざまな要因によって、時代とともに変化していくものである。したがって、DXを推進する企業は、継続的にステークホルダーの意識や考え方の動向を把握する必要がある。
企業がステークホルダーの考え方の動向を捉え、自社の事業に反映している事例として、日立製作所が行っている「ビッグデータで取り扱う生活者情報に関する意識調査」がある。これは、パーソナルデータの利活用に関する生活者の意識の変化や新たな技術に対する関心などを定量的に把握することを目的としたものである。最新となる第五回の調査では、新型コロナウイルス感染症の流行を受け、利用目的が明確であれば詳細なパーソナルデータの提供を容認する傾向が見られた。日立製作所は、調査で得られたこれらの知見を自社の事業に生かしていくことを宣言している。

3. 企業における今後のELSI対応に向けて

ここまで、科学技術政策で先行したELSI、RRIの取り組みや、DXを推進する企業におけるELSIの取り組み、特にS(社会)への対応について見てきた。「責任あるDX」を推進する企業では、法制度の順守ということでL(法律)への対応はもちろん、昨今は弊社がコンサルティングとして支援しているプライバシー、AI倫理など、E(倫理)の部分に対しても積極的な検討が進んでいる。一方、S(社会)への企業としての対応については、前述したような先進事例は存在するものの緒に就いたばかりである。そこで、「責任あるDX」を推進する企業において、今後、求められるELSI対応、特にS(社会)との関わりを強化する手法を以下で紹介する。

ステークホルダー分析

2020年のダボス会議で「ステークホルダー資本主義」という概念が世界的に広く打ち出された。企業の社会の中での価値として、ステークホルダーとの関係性が非常に重要となり、これを踏まえたDXの推進が不可欠である。
ステークホルダー分析は、プロジェクトに関係するステークホルダーを特定、ステークホルダーに関する情報を収集・分析し、プロジェクトを円滑に推進するための働きかけに役立てることを目的とした手法であり、4つのステップに沿って実施する。
(1)ステークホルダーの洗い出しでは、プロジェクトのビジネスモデルの検討、ブレインストーミングなどの手法の活用、関連分野の専門家へインタビューを実施することで、プロジェクトに関わるステークホルダーを抽出する。続く、(2)ステークホルダーの整理、選定では、洗い出したステークホルダーの属性を一般化し、プロジェクトとの関係性の整理を行ったうえで、重要なステークホルダーをプロジェクトの影響度、不確定要素(プロジェクトに対するネガティブな反応など)の可能性という観点で選定する。そして、(3)重要ステークホルダーの特性分析では、ステークホルダーの属性、プロジェクトや推進組織との関係性などを改めて整理する。また、不確定要素の分析として、どのような反応(プロジェクトへの反対など)があるか、その要因や対策案などを検討する。最後に、(4)重要ステークホルダーのエンゲージメント検討では、(3)で分析した結果を踏まえてエンゲージメント(プロジェクトへの関わり方など)手法を検討する。重要ステークホルダーの種類によってエンゲージメント手法は異なるが、複数の重要ステークホルダーが存在し、リスクも複数考えられる場合は、プロジェクトにステークホルダーを巻き込むリビングラボ(後述)のような手法も想定される。

図1 ステークホルダー分析の進め方
図1 ステークホルダー分析の進め方

リビングラボ

リビングラボは本来、市民と企業が共同で、市民の生活上の問題を解決するサービスを検討・検証する協創手法である。しかし、この手法は、ワークショップ(WS)を複数回にわたって開催するなどの継続的な活動を通じて、ステークホルダーと深い関係を築き、彼らのリアルな声を引き出すことで、よりニーズに応えるサービスをめざすところに特徴があり、この点は「責任あるDX」として、市民以外を対象としたサービスを検討する際にも有効なものであるため、本コラムで取り上げる。リビングラボは、その実施主体となる企業を中心に組成する「(1)ラボチーム」、ステークホルダーと実施する「(2)ワークショップ」、ステークホルダーの実際の活動の場である「(3)実フィールド」を行き来して進行する。具体的にはまず、ラボチームでリビングラボの目的や対象ステークホルダーの整理などを行ったうえで、解決したいステークホルダーの問題仮説を立案する。次に、対象ステークホルダーを集めたWSを開催し、当該仮説を検証するとともに、ステークホルダーの活動実態に関するリアルな声を引き出し、問題の深掘りを行う。その後、WSで得た声を基に、問題を解決するサービスの発想やプロトタイピングをラボチームで行い、WSでフィードバックを得ていく。ラボチームでの改善とWSでのフィードバックを繰り返すことで、一度ではうまく言語化できなかったステークホルダーの意見をより具体的に得られる他、よりニーズに適したサービスへと洗練できる。その後、サービスの事業化に向けて、ステークホルダーの実際の活動の中でサービスを使用してもらい、フィードバックを得る実フィールドでの検証とそれに基づくサービスの改善を繰り返し行う。実フィールドでの検証によって、WSよりもさらにステークホルダーの活動を踏まえた意見を得ることで、ステークホルダーの活動に溶け込み、使い続けてもらえるサービスに仕上げていくことができる。

図2 リビングラボのイメージ
図2 リビングラボのイメージ

ソーシャルサウンディング

「サウンディング」とは、事業の企画段階などにおいて、ステークホルダーに対して市場性などについて感触を確認することであり、その目的は事業の可能性を確認し、適切に事業化を図るための示唆を得ることにある。ここでは、ソーシャルメディア(SNSなど)、既存のデータなども活用し、「社会受容性」を間接的に事前に把握して、事業の設計に反映する手法として「ソーシャルサウンディング」という考え方を提示する。前述したリビングラボはステークホルダー自体を巻き込む直接的な手法であるが、トライ・アンド・エラーのアジャイル型で進められるDXでは、すべてにおいて同様の施策を行うことは難しい。そこで、ソーシャルサウンディングを組み合わせて迅速に社会受容性を分析することも重要となる。
ソーシャルサウンディングの基本はステークホルダーの視点に立って、不安な点などを発想することだが、SNSや統計データなどを活用することで、この部分の精度を高めることが可能となる。例えば、DXにおいてカメラ画像を活用した新しいサービスを推進したいと考えた場合、同じサービスについては難しいかもしれないが、類似した要素(カメラ画像の利用など)を持つ他社のサービスや事業に対してSNSがどのように反応しているか、あるいはマスメディアがどのように報じているのかなどを分析することで社会受容性を考察することができる。SNSのコメントがポジティブなのかネガティブなのか、あるいは具体的にどのような点をネガティブに捉えているのか、という部分を分析し、参考にする。また、既存の統計データなどにおいても、社会受容性の分析に生かせるものも少なくない。国やマスメディアが行う世論調査や、企業が行っている調査等を活用することも可能である。例えば、日立製作所では、プライバシー対策に生かすため定期的にアンケート調査を実施しており、この結果は他の企業におけるDX推進のサウンディングにおいても有用であると考えられる。このようなSNSや統計調査等に基づく分析をステークホルダーの立場に立った検討に返すことで、社会受容性の把握の精度を上げることができる。

図3 ソーシャルサウンディングのイメージ
図3 ソーシャルサウンディングのイメージ

おわりに

本コラムでは、ELSIに関する取り組みが科学技術政策では定着し、企業でも取り組みが始まっていることを紹介したが、今後、ELSIを意識した「責任あるDX」への対応は急務であると考えられる。最後に紹介したS(社会)との関わりを強化する手法を含め、弊社では企業におけるELSI対応を支援するコンサルティングメニューの拡充に努めている。興味のある方は是非、問い合わせてもらいたい。

本コラム執筆コンサルタント

佐武 史啓 株式会社 日立コンサルティング シニアコンサルタント

仲村 裕太 株式会社 日立コンサルティング コンサルタント

※記載内容(所属部署・役職を含む)は制作当時のものです。

Search日立コンサルティングのサイト内検索