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第1回 「責任あるDX」のためのELSI

美馬 正司 株式会社 日立コンサルティング ディレクター

田中 総一郎 株式会社 日立コンサルティング シニアコンサルタント

2022年9月27日

はじめに

デジタルトランスフォーメーション(DX)という言葉が広く浸透し、多くの企業でDXへの取り組みが進められている。しかしながら、DXが本質的な価値を発揮するためには、企業自体だけではなく、ステークホルダーを含めた変革やステークホルダーへの配慮が不可欠である。実際、AIやパーソナルデータの行き過ぎた活用が問題視され、社会から糾弾される事例も多く見られる。そこで今、注目を集めているのがELSIだ。ELSIとは、ステークホルダーやその総体としての社会の状況や自社との関係性を踏まえて組織をガバナンスするための考え方、フレームワークで、DXに真の価値を発揮させるためには、今後、不可欠な要素である。

1. DXの推進で考慮すべきこと

経済産業省によると、DXは以下のように定義されている。

企業がビジネス環境の激しい変化に対応し、データとデジタル技術を活用して、顧客や社会のニーズを基に、製品やサービス、ビジネスモデルを変革するとともに、業務そのものや、組織、プロセス、企業文化・風土を変革し、競争上の優位性を確立すること。

出典:経済産業省「「DX推進指標」とそのガイダンス

このように定義され、まずは企業自体の変革を求めるDXではあるが、企業組織に閉じた形のDXには限界があり、実際にはステークホルダーに依拠するところが非常に大きい。例えば、商取引一つを取りあげてもそうであるが、企業が何かビジネスをする際、顧客と交わす契約をデジタル化しようと考えると、自社が電子契約に対応するだけでなく、顧客側にも対応してもらう必要がある。もちろん、DXを推進するうえで自組織が最初に変わらなければならないのは当然ではあるが、ステークホルダーも含めたエコシステム全体を視野に入れたDXでなければ十分な効果、変革を創出することは難しい。
DXにおいて考慮すべきもう一つの側面は、デジタル技術を活用するといっても結局は組織や社会を構成する「人」の活動が基本となっているということである。DXを進めるに当たっては「人」の価値観や認知能力等に配慮することが求められる。当社が展開してきたプライバシーやAI倫理のコンサルティングは、まさにこの部分を取り扱ってきた。個人が収集されたデータやその用途について十分理解しているか、納得しているか、分析される際に偏りがなく公平性が担保されているか、このような部分に配慮せずにデータの活用を進めて炎上した事例がこれまでも数多くあることは皆さんもご承知であろう。
加えて、デジタル技術の負の側面へも配慮が必要だ。デジタル技術は個人の能力をエンハンスし、生活を便利にする反面、人の悪意を増強することも容易にし、さまざまな問題を引き起こす可能性がある。誹謗中傷やフェイクニュースの拡散、サイバー攻撃やそれに伴う情報漏えいなど、デジタル化の進展と併せて顕在化している問題も多数存在し、DXの推進がこのような負の側面を助長しないか考えることも不可欠である。
デジタル化の進展は、企業にさらなる変化を求めている。デジタル化に伴い企業に関する情報の流通量と流通速度が上がったこと、企業と消費者との距離が縮まったことなどで、投資家を含む社会から「企業市民」としての存在意義がこれまで以上に問われるようになってきている。例えば、エシカル消費(倫理的消費)という言葉に代表されるように、商品やサービスだけでなく、提供企業やその背景なども含めて情報が流通し、評価されるようになってきている。企業においても単にDXに取り組むというだけでなく、それがいかに適切に行われているか、社会においてどのような価値があるのか、という部分も含めて問われることになる。つまり、今後、企業では、ステークホルダーなどの状況を鑑み、法的・倫理的に問題なく社会の中で評価される「責任あるDX(真のDX)」への展開が求められていく。

2. 真のDXに向けたELSIの必要性

では、企業が「責任あるDX(真のDX)」に向けて取り組むうえで、ELSIの考え方がなぜ重要であるかを解説する。
ELSIとはEthical, Legal and Social Issues/Implicationsの略称であり、技術の研究開発/社会実装に伴って生じる、法的・倫理的・社会的な課題/影響を指す言葉である。1990年代、米国のヒトゲノム計画にて、ELSIに特化した研究予算確保の提案がきっかけで誕生した考え方であり、近年、新技術の社会実装にあたり生じる問題を捉えるためのフレームワークとして再び注目されている。
ELSIは、新たな技術を社会実装する際に、その問題を法・倫理・社会という三つの側面で切り取り、アプローチするが、これはDXにおいても同様である。
「法」という言葉で整理されるが、法制度等の規制が阻害要因となって手続等のデジタル化が進まないことは、これまでも多く指摘されている。その意味で法制度の見直しはDXの推進を図るうえで重要であり、企業においては見直しを政府に働きかける等の活動が求められる。一方、新たな技術が適切に運用されるよう、法を整備することも不可欠である。例えばドローンのような新たな技術については、小型無人機等飛行禁止法のような新たな法制度を設ける等の対応が必要になる場合もある。近年では、技術革新に法制度がついていけていない部分が多々あり、ソフトローと呼ばれるガイドラインのような強制力のないもので迅速に対応する部分も増えてきている。DXでは、ソフトローを含む新たな法制度に準拠することはもちろんであるが、法制度が新しい技術に対応していない場合には、この改正に向けて積極的に働きかけるようなことも求められる。
「倫理」とは、普遍的な規範として、「法」の基本となるものであるが、ソフトローのように「法」で定められていないものを、企業などが独自の規範を設けて対応するという側面も存在する。AI倫理というキーワードで注目されている部分は、まさにこの部分であり、各企業がAI倫理原則を定め、AIが間違った使われ方をされないようにガバナンスを効かせる取り組みを行っている。プライバシーにおいても同様であり、個人情報保護法を順守しているだけでは、侵害してしまう恐れがあった個人の権利(プライバシー)を守るために、Google、Appleなどに代表されるパーソナルデータを扱う前衛的な企業は、ガバナンスを強化する取り組みを積極的に推進している。「法」を改正するにはそれなりの時間を要する。そのため、必要に応じて新しい技術に即した規範を独自に整備して、ガバナンスを効かせることがDXを推進する企業において重要である。
最後に「社会」であるが、ELSIにおいて今後、重要になるのがこの部分であると考えられる。「法」や「倫理」への対応はこれまで企業において進められてきたが、「社会」との関係については、まだまだ取り組みの余地が残っている。前述したように、デジタル化に伴い、企業はこれまで以上に企業市民として、社会の一部としての存在意義が求められ、「社会」と積極的に関わらないことがマイナスに働くようになっていく。例えば、A社とB社が同じ製品を同時に発売したとしても、A社が製品の環境性能についての情報を発信したり、消費者の意見を取り入れた開発をしていたり、ユーザーのコミュニティ活動を支援したりしている場合、B社の製品よりもA社の製品の方が社会により受け入れられると予想される。繰り返しになるが、DXについても自社に閉じた形ではなく、ステークホルダーとの関係性も考慮し、社会に対してオープンな形で進められなければならない。自社の進めるDXがステークホルダーや社会に対してどのようなインパクトがあるのか、どのように適切に推進されているのかについて情報を発信するだけでなく、ステークホルダーや社会との対話を通して協創的にDXの価値を紡ぎだすことが期待される。

図 ELSIのイメージ
図 ELSIのイメージ
参考文献:岸本充生 “バイオメトリクス利用の 倫理的・法的・社会的課題(ELSI)” SBRA2021(第11回バイオメトリクスと認識・認証シンポジウム)(2021)」

3. ELSIの現状と今後

ELSIの歴史は古いが、昨今、再び注目されている理由は、デジタル化による変革において法・倫理・社会とのギャップが生み出され、より顕在化したことで、これに対する適切な対処へのニーズが大きくなったためだと考えられる。
欧州では、ELSIの同義語としてRRI(Responsible Research and Innovation)という言葉が使われている。欧州の研究開発プログラムであるHorizon 2020(2014〜2020年)においてRRIは「社会と共にある/社会のための科学(Science with and for Society)」プログラムの主軸として位置付けられ、横断的に研究が進められた。また、Horizon 2020の後継のHorizon Europe(2021〜2027年)では、プログラム全体を通してRRIを推進しようとしている状況である。
日本でも、科学技術政策においてはELSIという言葉が定着しており、2021年3月閣議決定された「第6期科学技術・イノベーション基本計画」に研究開発の初期段階からELSI対応を促進することが明記されている。結果、例えばムーンショット型研究開発制度(我が国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来技術の延長にない、より大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発(ムーンショット)を推進する国の大型研究プログラム)においてもELSIにおける評価が横断的に実施されている。
このように科学技術政策においては市民権を得ているELSIであるが、引き続き実現手法については研究が進められており、今後、イノベーションを社会に実装する主体である企業においてもその実践が求められる。
これまで弊社で支援してきたプライバシーやAI倫理への取り組みもELSIの一環で、すでにさまざまな企業がこの分野への取り組みを進めているが、より包括的な概念としてELSIという部分について注目していくことが重要である。その理由は、前述のとおり、企業個々のDXが社会との関係も含めて「真のDX」へと進化し、その効果を最大化するために不可欠だからである。すでにこのことに気付き、ELSIに基づく取り組みを進めている企業も出てきている。メルカリ、電通、大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)などがそれである。
また、ここまで読むまでもなくお気付きの方も多いだろうが、SDGs1、ESG2などともELSIは近い概念ではある。ただ、SDGsやESGがアウトカムという目標から逆引きでアプローチするものであるのに対して、ELSIはプロセスそのものをデザインするという点やテクノロジーと実社会とのギャップに着目している点で大きく異なる。そして、共通して言えることは、「社会」における企業の存在意義がこれまで以上に求められており、これを「社会」との間でデザインし、適切にコミュニケーションすることが必要になってきているということである。

図 SDGs、ESG、ELSIの関係
図 SDGs、ESG、ELSIの関係

1
Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)
2
環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)

おわりに

ELSIという言葉を使わないまでも、同様の観点や考え方で取り組みを行っている企業はたくさんあるだろう。その中でこのフレームワークが重要になってきているのは、デジタル化によるイノベーションと社会のフリクションが大きくなり、法・倫理・社会それぞれの側面で対応しなければならない場面が格段に増加してきているからである。
ただし、ELSIは明確に体系化されたナレッジではない。研究開発という分野においても継続的に検討が進められており、企業における実践はこれから進むと考えられる。しかしながら、プライバシー、AI倫理など、これまで企業が取り組んできたことのベクトルの先にあることは確かであり、われわれもこれまでのコンサルティングの経験を基に、企業のELSI対応を支援していきたいと考えている。
次回のコラムでは、科学技術政策で先行したELSI、RRIの取り組みや、企業において期待されるELSIの取り組みについて触れたいと考える。

本コラム執筆コンサルタント

美馬 正司 株式会社 日立コンサルティング ディレクター

田中 総一郎 株式会社 日立コンサルティング シニアコンサルタント

※記載内容(所属部署・役職を含む)は制作当時のものです。

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